おんなのきろく。

20代。仕事と恋愛、諸々の鬱憤をはきだすブログ

女の最大の敵は女、最大の味方も女

女社会で仕事をはじめ、あっという間に数年が経った。

新人が理不尽な理由でいじめられるのは洗礼、とも言わんばかりな部署を経て、現在。入職当初から変わらず思うのは、女は強いということである。単純に、どんなことにも立ち向かう鋼のような強さを持っているということではない。

時には柳のように、柔軟に言葉も態度も変化させながら、相手の言い分に賛同しているように見せ、実は主導権を握るということが出来るのだ。

そして、話が通じない相手だと見切った瞬間には、ほぼ同性にしか伝わらない絶妙な冷たさで言葉を切る。

 

「女はただ話をきいてやればいい」というのは、私のまわりに限るとそう信憑性のある理論ではない気がする。

求めているのは根拠を明確にしたアドバイスで、結果である。

 

とはいえまだまだ女は男の下、という風潮がある現代。

最早それすらも味方につけてしまう女も、そう少なくはないことを知ってるだろう。

私はずる賢く、ひどく正直な女という生き物が

とても愛らしく思え、憎くくもあり、時々、怖い。

 

最大の敵、最大の味方とともにする時間は、いつだって濃厚で、甘美で、戦場なのだ。

 

命を守る人

「そんな汚い仕事できないわ」

と、言われるのが私の仕事である。

初めて男性のそれを見たのは18のころで、私は実習生で、相手は40代だった。とってつけたような物体(なんせお目にかかったのは初だったので異物に見えたのだ)を石鹸とお湯でなるべく傷つけないように洗った。果たして私が担当してよかったものか、それは今でもわからないけれども。

資格を取ってからも毎日毎日誰かのそれを見て、男性だろうと女性だろうと排泄物の処理をして、ときにはおしりから薬を入れなければならない。

「若いのにこんな仕事して大変だねぇ」

なんて下衆い笑いで言ってくる輩もいるが、仕事だと思えばだいたいのことはできるのだ。

それでも後ろめたいときだってある。さっき知り合ったばかりの女に、見せたくないものを見せなきゃならない、患者の家族だって嫌な気持ちになるだろう、患者も患者をとりまく人々もある種被害者だと思っている。

だから、合コンなどで白衣の天使だなんて言われるのが大嫌いだったし、おまけに「オフでも献身的な子なんだろう」と勝手な烙印を押されることが非常に遺憾であった。

 

同業者との共通の話題は「辞めたい」「休みがほしい」「肩こった、腰いたい」「肌あれがひどい」「寝不足」「最近生理こない」である。それに認知症の患者からの暴力、理不尽な言葉、気分やな医師の扱いの難しさなども加わる。

だから白衣の天使なんかじゃないのだ。16時間の夜勤を終えたあとなどひん死の戦士だ。

8時間の交代制ならば、夕方仕事が終わったと思ったら日付が変わるころにまた出勤などということもある。これでワークライフバランスとか言っているのがおかしいと思わないのか。子供が夜さみしいと泣くから、と仕事をやめていったひとを何人も知っている。

けれども医師はそれを上回る多忙であり、かつ重い責任を課されている。夜中患者が急変し主治医へ連絡した際、後ろから子供の声が聞こえたときにはさすがに胸が痛んだ。人の命は人によって守られているのだ。それは当たり前のようで不思議な循環で。

 

そして命を懸命に守ろうとしている人たちもまた、守られるべき存在であることを忘れてはならない。

 

男とは、こういうもの

数年前、強く惹かれた男がいた。
私はその頃二十歳になったばかりで、付き合うこと、またその先のこともまったく無知と言っていいほど幼く。

自分よりも5つほど年上のその男は、とても大人に見えて、
はにかんだ表情を見たときには、ああ大人でもこんな顔をするんだと。心の奥底をきゅっとつかまれた。
もともと、少々コアな共通の趣味で知り合ったため、打ち解けるのもはやかった。

二回目のデートのあと、どうしてもまだ彼と離れたくなくて、若さゆえの行動力で彼の部屋に上がり込んだ。

その頃の私の男性経験は一人だけで、しかもその相手と言うのはセックスにひどく無頓着な男で(否、単純に私との相性が悪かったのかもしれないが)
二年半も付き合っていたのに、最後までしたのは片手で足りるほどだった。
20半ばの、私からすれば大人の男に見えた彼とのセックスは、今まで経験していた「ただ痛いだけ」のそれとは違った。

彼にのめりこむまで、そう時間は要さなかった。

私はなんとか口実をつけては彼と会い、彼もそれを拒まなかった。
好きだ、と伝えても曖昧に笑うだけ。
間違った方向で気持ちを示そうとした私は、避妊もせずに行為を許してしまった。

それから彼からの連絡がとだえ一年。
呆気なくって最早笑い話にすらなっていた彼との出来事は、突然の彼からの連絡で再び動き出した。

震えた携帯の画面には、また会えないか、という短い文章があった。

一年間、わたしは自分の本気(という名のただの失敗だが)を見せたのにも関わらず振り向いて貰えなかった事実に、相当に荒れていた。
もうだれでもいい、と取っ替え引っ替え誰かと付き合っては心身共にすり減らし、後悔してもまた繰り返す。それは或る種病気だった。

なのにわたしは馬鹿な女で、好いていた男からの連絡に少なからず心踊っていた。
だがその時には付き合っている相手もいたために、会うことはできないと断った。

探れば彼の方も、どうやら特定の誰かがいるようだった。

彼女がいるのにこんなことをするんですね、と言えば
「彼女だけじゃつまらないでしょ。君とのほうが楽しい」などとせせら笑いが聞こえてきそうな返事が帰ってくる。
「いまから会いに行く」などと言うので、これ以上連絡してこないでくれと返事をしブロックした。

それから更に数年がたち。
恋愛にはほとほと疲れた私は、仕事人間になり、もう男なんていなくてもどうにかなると思い始めていた。しかしひょんな偶然から、太陽みたいに笑うある男性に出会い、こんなにも自分のことを大切にしてくれる男がいるのかと胸を打たれた。
交際から一年半、未熟な私を懸命に支えてくれた彼のプロポーズを断る理由などなく。わたしは先日、入籍した。

しあわせの絶頂にいるなか、どうしてもぬぐえない不安がある。

「やはり、この人も裏切るのだろうか?」


人の縁とは何て皮肉なものかと思うが、私と関係をもって去り、そして気まぐれに連絡してきたあの男は、私の友人の姉と結婚していた。
友人に見せてもらったSNSの投稿には、幸せそうに笑う友人の姉と、その男。
クリスマスには指輪を贈り、毎日彼女のために食事を作り、二人で旅行をし、幸せなサプライズを用意していた。

私はただただぞっとした。
私にセフレの関係を迫っていたあの時期、彼は友人の姉と同棲し結婚間近だったのだ。

改めて最低なクズ野郎だと思えたが、自分だって考えなしに避妊もせず行為に至った馬鹿なので言えたものではない。

自分にもいくらでも汚点があるのは承知だが、結婚をしたいまでも彼とのことが胸にもやをかけている。

彼の隣で、幸せそうに笑う友人の姉が、いまの自分と重なった。
どんなに愛情注いでくれる男でも、こんなことをするのか。
なら最早なにを信じればいいというのか。


ふんわりと笑って、私を抱き締めるその腕をもう失いたくはない。

男は、こういうもの。

そんな悲しいことを、考えたくなどないというのに。
どこかでその見えない鎖に足を取られている、自分がいる。