命を守る人
「そんな汚い仕事できないわ」
と、言われるのが私の仕事である。
初めて男性のそれを見たのは18のころで、私は実習生で、相手は40代だった。とってつけたような物体(なんせお目にかかったのは初だったので異物に見えたのだ)を石鹸とお湯でなるべく傷つけないように洗った。果たして私が担当してよかったものか、それは今でもわからないけれども。
資格を取ってからも毎日毎日誰かのそれを見て、男性だろうと女性だろうと排泄物の処理をして、ときにはおしりから薬を入れなければならない。
「若いのにこんな仕事して大変だねぇ」
なんて下衆い笑いで言ってくる輩もいるが、仕事だと思えばだいたいのことはできるのだ。
それでも後ろめたいときだってある。さっき知り合ったばかりの女に、見せたくないものを見せなきゃならない、患者の家族だって嫌な気持ちになるだろう、患者も患者をとりまく人々もある種被害者だと思っている。
だから、合コンなどで白衣の天使だなんて言われるのが大嫌いだったし、おまけに「オフでも献身的な子なんだろう」と勝手な烙印を押されることが非常に遺憾であった。
同業者との共通の話題は「辞めたい」「休みがほしい」「肩こった、腰いたい」「肌あれがひどい」「寝不足」「最近生理こない」である。それに認知症の患者からの暴力、理不尽な言葉、気分やな医師の扱いの難しさなども加わる。
だから白衣の天使なんかじゃないのだ。16時間の夜勤を終えたあとなどひん死の戦士だ。
8時間の交代制ならば、夕方仕事が終わったと思ったら日付が変わるころにまた出勤などということもある。これでワークライフバランスとか言っているのがおかしいと思わないのか。子供が夜さみしいと泣くから、と仕事をやめていったひとを何人も知っている。
けれども医師はそれを上回る多忙であり、かつ重い責任を課されている。夜中患者が急変し主治医へ連絡した際、後ろから子供の声が聞こえたときにはさすがに胸が痛んだ。人の命は人によって守られているのだ。それは当たり前のようで不思議な循環で。
そして命を懸命に守ろうとしている人たちもまた、守られるべき存在であることを忘れてはならない。